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電力ねぶたの歴史をたどります。

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出陣の足跡

平成14年 後藤又兵衛の奮戦dish


平成14年 『後藤又兵衛の奮戦』
ねぶた絵図
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平成14年製作 『後藤又兵衛の奮戦』
 槍をとっては天下に敵なしといわれた『後藤又兵衛基次』は朝鮮の役、関ヶ原の合戦で活躍し備前大隈城1万6千石の城主となりますが、黒田長政との確執の果てに浪々の身となりその後、豊臣秀頼に招かれて大阪冬の陣に参戦し縦横無尽の働き振りを示した。
 時は慶長25年5月5日、野戦の得意な徳川家康の大軍をこの少数の軍勢で迎え打つには大和・河内国境の天険によるべしと、真田幸村・毛利勝永と決別の盃を交わし、6日朝をまたぎ国分玉手山を目指した。
 6日未明、深い霧の中を道明寺についた又兵衛は、すでに東軍が国境を越え国分寺に入り布陣していることを知り間髪を開けず攻撃を開始した。
 これが『大阪夏の陣』の開戦である。世に伝わる「小松山争奪戦」は数時間に及び、一度は敵勢を退けたものの伊達政宗・堀直寄・水野勝成らの支援に及んで、又兵衛自ら盾を右手に疾風と敵陣の銃弾へ突撃を敢行し「直惜しみ節を全うする武士の花」と散った。
         ねぶた師 穐元和生(あきもとわせい)作



運行風景
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運行中のねぶた
 『電力ねぶた』も昭和59年に12年ぶりの再出陣以来、今年で連続19年、通算35回目の出陣を数えている。
 この間、田村麿賞(ねぶた大賞)をはじめ商工会議所会頭賞のほか、6度の運行賞の栄を受け、今年も、花笠着用による統制ある運行が行われた。


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