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出陣の足跡

平成12年 平将門dish


平成12年 『平将門』
ねぶた絵図
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平成12年製作『平将門』
 平安中期の武将「平将門(たいらのまさかど)」は桓武天皇(かんむてんのう)の子孫として東国に生れた。
 一時期,摂政関白(せっしょうかんぱく)藤原忠平(ふじわらのただひら)に仕えたこともあったが,志を得ず下総(しもうさ)の国に戻って勢力を養い,豊田,猿島(さしま),相馬の三郡を支配した。
 将門は兵士を統率するために,常に自らが先頭に立って戦った。
 たび重なる先頭の勝利によって将門(まさかど)の雄雄(おお)しい武者(むさ)ぶりが東国一円に鳴り響き,その名も高い無冠の実力者になっていた。
 天慶(てんぎょう)二年,将門(まさかど)は興世王(おきよおう)にのせられ下野(しもつけ),上野(こうずけ),武蔵(むさし),相模(さがみ)の諸国を配下に置き,八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神託(しんたく)を得たとして「新皇(しんのう)」と称して板東八ヶ国の独立を宣言し,下総国(しもうさこく)岩井に王城の建設を始めたが,翌年平貞盛(たいらのさだもり)や藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らに滅ぼされた。
 将門(まさかど)は朝廷にそむいた逆賊(ぎゃくぞく)とも言われるが,国家の苛政(かせい)に勇敢に反抗した英雄として各地に祀(まつ)られ,その人気は後世まで続いている。 ねぶた師 穐元和生(あきもとわせい)作

運行風景

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